富川さんはきっと、遠野のカッパに足を掴まれている。
東京から移住し、3年で戻るはずが10年が過ぎた今も彼は岩手県・遠野にいる。そして土地に深く入り込み、もはや「人ならざるもの」にまで進化した。
民俗学や郷土芸能の視点で遠野を切り取り、内と外を繋ぐ仕事をする富川岳さん。そんな地域プロデュース業の傍ら、今年は「河童」と名の付くある店まで始めてしまった。富川さんはなぜ帰ってこないのか!? 遠野の沼にハマり続けているワケ、もといカッパの正体を探りに、彼のもとを訪ねた。どうやら、その正体に近づくには富川さんが「シシ」になった話から始める必要がありそうだ。
富川岳さんプロフィール
1987年、新潟県長岡市出身。作家・プロデューサー。民俗学や郷土芸能を入り口に、企画をつくり、文章を書き、地域をプロデュースし、ときには自らシシを踊る。2026年には遠野に古書店「河童ブックス」を開店。著書に『本当にはじめての遠野物語』『シシになる。──遠野異界探訪記』など。
渋谷のど真ん中で、「シシ」に会う
はじめて富川さんを知ったのは4年ほど前、「遠野巡灯篭木 (トオノメグリトロゲ)」というイベントの告知を、SNSを通して目にした時のことだった。そして、今年の7月某日、富川さんは突然渋谷に降臨した。これまで現地で開催されてきた遠野巡灯篭木が、立ち上げから5年目の今年、渋谷のど真ん中にあるライブハウスWWWXで開催されたのだ。
遠野巡灯篭木は、2021年に東京の編集者・塚田有那さんと映像作家の坂本麻人さん、富川さんらを中心に企画され、はじまった。遠野、と聞くと柳田国男が残した民話集「遠野物語」くらいは思い浮かぶ人も多いだろう。その舞台であり、異界の気配を色濃く残す地・遠野で、数百年の歴史を持つ郷土芸能「シシ踊り(鹿踊・獅子踊)」と、現代カルチャーを織り交ぜ、目に見えないものへの想像をめぐらせるツアー型のライブイベントが、遠野巡灯篭木だ。
「この5年は、土地と接続された状態で、その文化に敬意を払いながらどうできるか、ということを大事にしていたので、現地開催にこだわっていました。ただ、5年やってみて、こういう風な座組とか演目なら大事な部分を壊さずにやれるというのが見えてきて、そろそろ外に出ていっていいんじゃないかとみんなで話をしまして」
現地開催では、シシ踊りだけでなく、遠野の歴史や文化、食、それをつくる人々や土地に流れる時間まで含めて体験する仕掛けが散りばめられている。その中で富川さんは、企画・制作側であり、運営側であり、「シシ」の踊り手でもある。
「現地でやる意味はすごくあるんですが、毎回遠野に来てくださいというのは、来る方も結構大変だと思ったんです。もし東京に出て行ければ、今まで『来たかったけど来られなかった』みたいな方とも繋がるきっかけになるんじゃないかなって。そしてどうせやるならば、‟ど真ん中”でやりたいよねとみんなで話して、 WWWXに。僕も東京に住んでた時によく行ってたんですよ。客として」
まさか数年後にシシとして踊ることになるなんて。人生何があるかわからないと笑う。私もずっと興味があったのになかなか現地に行けなかった一人だが、まさか渋谷でシシ、もとい富川さんと初対面するとは思わなかった。
「結果的に、想定していた最大人数くらいの方々が来てくれました。数年間の活動を知ってくださっていたり、ずっと行きたいと思っていた方も多かった。渋谷だったからこそ“実体”を見てもらえて、遠野への入口をつくれた感覚はすごくありましたね」
目の前で見えているものが現実なのか夢なのかがあいまいになったり、自分とシシとの境界も薄れ、まるで自分が踊っているかのような感覚にもなった。生の「シシ踊り」は凄かった。イベントから帰ってそのことを誰かに伝えようとしたとき、うまく言葉にすることができなくてもどかしかった。きっとあの日、同じように「わけのわからない心地よさ」に襲われた人は少なくなかったと思う。
ほんとは踊りたくなかった
所属する「張山しし踊り」では、花形の演目を任され、いまではすっかり「シシ踊りの人」となった富川さんだが、踊りはじめたきっかけは結構強引なものだった。
「僕は当時地域の魅力を発信する仕事をしていて、カメラを持ってシシ踊りの練習を取材してたんですよ。そしたら『いいんだ、いいんだ、踊れ踊れ』って言われて。いや僕は撮ってるんで……大丈夫っす、って言ったんですけど、いつの間にか踊る側にいました」
10年前は東京の広告代理店で営業の仕事をしていた。遠野へ移住した時は遠野の郷土芸能やシシ踊りはおろか「遠野物語」もろくに知らない状態だった。地域にある文化・歴史的な原石を掘り起こし、現代と接続させる「自分にしかできない仕事」をしたいとは思っていたが、自ら踊るのも、スポットライトがあたるのも絶対に嫌だ、恥ずかしいと思っていた富川さんが、そんなこんなで踊りはじめ、今年で早9年目。続いた理由がなによりも気になる。
「初日から拍手喝采を浴びれるんですよ。要は、見てる方々にとって、パッと見踊りが上手いか下手かって、わかんないことが多いんです。はじめてシシ頭を被ってめっちゃ緊張して、端っこでゴニョゴニョ踊ってるのに、『かっこいい』『写真撮ってください』みたいなことを言われ、急にヒーローになったような気分になれるんです(笑)」
被って踊った者にしかわからない物凄い高揚感があり、そこからみんなハマって練習していくのだという。
「本番にも、下手でも何でもいいから踊れ踊れと言って出されるんですけど、すごい理にかなってるなって思いましたね。踊ればわかるからって。伝統芸能とか、格式のある芸能って、多分そんなことできないですよね。ちゃんと師匠について何年もやってから舞台を踏むんだと思うんです。郷土芸能は民のもので、ストリートの芸能なんで、その辺でパチンコしてたり、さっきまでタバコふかしてたおじさんが、太鼓の音が響き始めたら急に参加してきて、めちゃくちゃ上手に踊り出すみたいなこともある。そういう独特の緩さと寛容さがあるのもいいのかもしれないですね」
シシ踊りにハマりやすい人
デスクワーカーと移住者がシシ踊りにハマりやすい、という富川流見解も興味深い。体を動かすことがリフレッシュになるというのは、なんとなく想像がつくけれど。仙台から遠野に移住してきたデザイナーの知り合いも、シシ踊りにハマって4年目だという。
「シシって、踊りの中では公的に荒々しく振る舞ってもいい存在なんです。自分の中にある暴力性みたいなものを、その時だけ出していい。人類学などでよく『仮面』の役割について話されますが、別の人格になれることで普段抑制してるものが出せたりする。そもそも祭り自体にもそういう役割がありますが、外から来ると目立つので、地元の目線というのを気にしながら生活しないとならない移住者は、シシになって踊ることで日常とのバランスが取れるというのは、自分がやってみてすごく感じたことです」
「あと、芸能の団体に入ると、移住者であろうが誰であろうが下手なら下手と言われるし、上手ければほめてもらえる。肩書きが関係なくなって、‟いち人間”として扱ってくれる。それがすごい嬉しいんです。何をやってるかとか、仕事や実績がどうなのかじゃなくて、みんな『腰が高い!』とか、どんどん言われる関係が気持ちいいし、受け入れられてる感じがする。それもハマっていくポイントの一つなんだと思います」
群れの一員として、ただシンプルに踊ることを全うする気持ちよさ。それは「何者かにならなきゃいけない圧」のようなものにさらされている世の中で、「何者でもない自分になる心地よさ」のようなものだという。
遠野って、そもそも「混ざる」土地だった
ちなみに、遠野には60を超える芸能団体があるが、人口2万2000人ほどのおよそ半数の人が、シシ踊りをはじめ、南部ばやしや神楽、さんさ踊り、虎舞などなんらかの芸能に参加しているという。周囲を山々に囲まれた盆地でありながら、昔から内陸からも沿岸からも人の往来があり、それと同時にさまざまなものが持ち込まれていた遠野。こんなにたくさんの伝統芸能が現代に受け継がれているが、全部外からもたらされたものを自分たちでサンプリングした、ミクスチャー芸能なのだそうだ。
「遠野は本当に平野部が小さいので、外から入ってくる資源をどう活用して生きていく術にするかっていう環境だったんです。文化に関しても、古いものを守るために、外から入ってきた新しいものを自分たち用にカスタマイズして、上手く取り込んでいく町だったそうです」
環境にはぐくまれた柔軟さや、掛け算の上手さ。そうした背景を知ることで遠野の郷土芸能の可能性が見えてくる。
「移住者もそうですよね。郷土芸能を守っていくために、新しい血を入れるというか、そういうことに否定的じゃないというのはあるんですよね」
はじめて遠野巡灯篭木を企画した時も、前向きな反応をくれる人が多かった。とくに富川さんが所属する団体「張山しし踊り」のボスたちは、理解が早かった。
その柔軟さと懐の深さが、伝統芸能とアーティストとのコラボレーションを可能にした。制作過程でも、「何は守るべきで、何を変えていいのか」を一緒に議論したという。
「コラボレーションをやるけど、オリジナルもやろうと。その対比を一晩でちゃんと見てもらうようにする。こういう議論ができる環境であることがありがたいです。彼らは今70代ぐらいなんですが、若い頃はなかなか上の世代とそういう会話がしづらかったようで。だからこそ若者の意見を取り入れようとしてくれる。自分も同じ立場になったとき、そうありたいです」
中と外が「同じ熱量」で動く大切さ
「遠野に来て数年経った時に、遠野の面白さってもっといろんな人に刺さるだろうなとは思ったんです。何も知らずに来てのめり込んだ自分がそうだったように」
ただ、そういう人たちへの発信方法とかつながり方がわからなくてもどかしさを抱えていた。そんな時、塚田有那さんたちとの出会いがあった。
「遠野巡灯篭木が良かったのは、中と外にそれぞれメンバーがいるけど、皆同世代で、感覚や熱量が一緒の状態で動けたことで」
「現代人にとって、郷土芸能というものがどういう価値を持つのか、どう変換したら伝わるかみたいなことを、マーケットに近いメンバーと、地域側にいるメンバーが力を合わせて、フィールドワークもしながら探求していく。そうやって今の時代に新しい祭りをつくり出すようなベクトルでやれたというのが面白いポイントなのかなと思います。いわゆる地域おこしとか地域活性みたいなものって、中だけでやって満足してしまったり、外から入ってきて地域側が受けとるだけみたいな構図のものが多かったりするんですけどそうじゃなかった。遠野側だけでも、東京側だけでも、たぶんできていなかったと思います」
遠野巡灯篭木が伸ばした枝葉
踊れ踊れと言われて当事者となり、あれよあれよと沼に沈んでいった富川さんの話然り、一歩足が入れば無限に面白い。それが郷土芸能や民俗学の世界ではある。けれど、多くの人にとってその入口こそが遠い。その意味で、富川さんの活動、遠野巡灯篭木の果たした役割は大きいのだと思う。
一方、遠野巡灯篭木はここで一度区切りを迎える。2023年に、イベントを一緒に企画した編集者・塚田有那さんが亡くなったこと、メンバーそれぞれの環境の変化、そしてショーアップされた部分だけに注目が集まり、規模を広げることへの期待が膨らんだこと。さまざまな要因が重なり、「俺らってそういう方向なんだっけ?」と改めて話し合ったという。
「ただ、遠野巡灯篭木を経て、自分も含めていろんなプロジェクトがはじまっていくメンバーもいて。 今も一緒に踊ってくれているコムアイさん(元水曜日のカンパネラ)をはじめ、いろんなアーティストや、繋がりたいと思っていた人たちに、遠野の血潮というのを伝えられたし、これから新しい仲間になってくれそうな人たちとも繋がれた感覚がある」
この5年間で、これ以上できないぐらいやった、とも話す。
「うちの団体の東京支部にはコムアイさんも入ってくれて、そのことで活性化して、東京の公演も増えてきていて。年に数回しか遠野に帰ってこられない出身者たちの踊る場が増えて、彼らからありがとうって言ってもらえたんですよ。遠野でお祭りがある時も、以前より早く戻って練習しようという流れになったり。あとこの数年遠野巡灯篭木を見てくれていた高校生が『踊りてえ!』ってなって踊り始めたりとか、我々とは別のシシ踊り団体が外のフェスに呼ばれるようになったりとか……」
イベントをきっかけにあちこちに枝が伸び、新しい葉もたくさん生まれてきている。富川さんが所属する張山しし踊りの参加人数は、今年最多となった。
地域を開く。でも、消費させない
富川さんが、一体何者なのかがわからなくなってきた。取材中、自分のことを何度か“外者”(そともの)と表現していたが、彼の動きと周囲で起こる化学変化を踏まえて見ると、完全に“中の人以上”という印象になる。
「東京の広告代理店を辞める直前の2015年頃って、地方創生ということばがドーンと世の中に出た年で。広告代理店のクリエイターたちはもう、こぞって地方に渡ったお金でオモシロ自治体ムービーをつくりまくってたんですよ。その時僕の心には二つの感情が芽生えていて、『自分もカンヌ広告祭のクリエイター賞取りたい』!っていうのと『賞を取ることしか考えていない人たちに地域が消費されてるな』というもの。今ほど言語化できていませんでしたが。今遠野に来てみて、いろんな人と関わって対話して、関係値が深まってくごとに、やっぱり消費って言葉に対する嫌悪は大きくなったし、消費されてしまうような取り組みは絶対にしたくないなって思います」
遠野で10年以上暮らしながら、地域プロデューサー業をやってきて、文化や歴史、民俗学的にその土地を見る眼鏡のようなものをインストールできた感覚があるという富川さん。今は、その眼鏡を「外」に生かす方法を考えている。
「今後は自分の実体験とか事例をベースにしながら、ノウハウに落とし込んだ本をつくったり、よその地域を再編集できるといいなと思っていて。今も講演に呼んでいただいて話す機会があるんですが、僕の熱量が上がって、遠野、遠野と言えば言うほど『遠野だからできたんでしょ』って反応になってしまう。けど、地元の人との関係性をどうつくるか、地域の魅力をどう掘り起こすか、それに手を貸してくれる人をどう見つけるか、どんなチームでどんな表現をすれば外に伝えていけるのか、みたいなことは、どの地域でも再現性高くできると思ってるんですよ」
土地のことを知る。そこにいる人と話す。一緒に考える。ときには一緒に踊る。富川さんは10年かけて、気づけば自分もシシになっていた。でも、シシになることが唯一の答えではない。遠野に住む必要だってない。現に遠野巡灯篭木を一緒につくってきたメンバーは、「外」にいながら今も深く遠野と繋がり、新たな枝葉になっている。
地域の魅力を見つけて、外へ伝える。それだけなら、きっともっと簡単にできる。でも、その土地をただ「面白いもの」として使ってしまわないために大切なのは、どこにいるかではなく、どう向き合うかなのかもしれない。
とはいえ、東京の広告代理店で働いていた男をシシにまでしたうえに、10年以上帰さない遠野には、やっぱり何かがいる――。
※後編では、富川さんが日々を過ごす「遠野の日常」へ。好きな食や場所を巡りながら、彼がなぜ10年以上も遠野を離れられないのか、その理由を探ります。そして今年春に始めた古書店「河童ブックス」へ。富川さんを遠野の沼に引きずり込んだ“カッパ”の正体とは……!
(写真:森山越/取材・文:遠藤愛子)
















