俳優として国内外で活躍する一方、約20年前、農業ができる土地を求めて静岡県富士宮市へ移り住んだ工藤夕貴さん。富士山や豊かな水に惹かれて始まった暮らしは、地元の人との出会いをきっかけに、酒造りなど新たな活動へと広がっていった。20年という時間を経た今、工藤さんが語るのは「無理につながらなくていい」という地域との距離感。土地に根を張るなかで育った、人と自然との心地よい関係を聞いた。

工藤夕貴さんプロフィール

1971年生まれ。東京都出身。1983年、芸能界デビュー。1991年、映画『戦争と青春』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞などを受賞。並行し海外でも活動し、1999年に主演した映画『ヒマラヤ杉に降る雪』はアカデミー賞など多くの賞にノミネート。他に、NHK『真田太平記』、『山女日記』シリーズ、映画『SAYURI』、『ラッシューアワー3』など多数の作品に出演。帰国後は静岡県に広大な土地を購入し、俳優業の傍ら自然農法で農業を行っている。富士錦酒造での酒造りも約18年勤しみ、オーガニックレストラン「カフェ・ナチュレ」を経営。2024年には新曲『コモエスタ・ロスアンジェルス』をリリース。

農業ができる場所を探して、富士山の麓へ

―そもそも、工藤さんが富士宮を暮らす場所に選んだのはなぜだったのでしょう?

工藤:もともと食について考えるようになって、自分が食べるものを自分で作りたいと思ったことが、農業を始めるきっかけでした。富士宮を選んだ理由はいくつかあります。富士山が大きく見えること。海外の友人が日本に遊びに来ても、私が一番自慢したいと思うのはやっぱり富士山なんです。それから農業ができるまとまった土地が見つかったこと。水が豊かなことも大きかったですね。

  • 富士錦酒造から望む富士山。間近に迫るような雄大な姿が印象的

    富士錦酒造から望む富士山。間近に迫るような雄大な姿が印象的

移住後は農業従事者の資格をとり、自ら畑や田んぼへ。農業を始めた当初は本を頼りに独学で試行錯誤を重ね、その後は木村秋則氏から学んだ自然農法を取り入れてきた。農薬や肥料に頼らず、種を自ら採りながら作物を育て、かつては年間約80種類の野菜を栽培するほど、本格的に農と向き合ってきた。

  • 工藤さんの畑で採れた野菜たち

    工藤さんの畑で採れた野菜たち

―移住してから約20年。別の場所へ移ろうと思わないのはなぜですか?

工藤:東京までの距離感や空気感、自分に必要なものがここにはあるんです。農業も酒造りもできるし、いろんなもののバランスがいい。災害のことを考えても、ここなら何かあっても生きていける気がします。究極、自給自足に近い状態になっても、なんとかなるんじゃないかなって。だから、移りたいと思ったことがあまりないんです。

肩書きを脱いで、ただの自分に戻れる

―自然との距離も、富士宮に暮らし続ける理由なのでしょうか。

工藤:大きいですね。近所の湖には一年を通して行っていて、2月も泳ぎます(笑)。もともと泳ぐのは好きでしたが、4、5年前にウィム・ホフ・メソッド(※)を始めてから、冬でも入るようになりました。

(※)ウィム・ホフ・メソッド:呼吸法と氷⽔浴を組み合わせた健康法。⾃律神経の調整や⾎流・代謝の促進に効果があるとされる

―滝にもよく行かれるそうですね。

工藤:1年を通して水垢離(※2)をしています。滝では瞑想もしていて、集中していると、一瞬だけ周囲の音が消えるように感じることがあって。その時間を求めて行くんです。

(※2)水垢離:冷水を浴びて心身を清めること

  • 富士山の湧水が流れる「陣馬の滝」。水の豊かさに惹かれて富士宮へ移り住んだ工藤さんが今もよく足を運ぶそう”

    富士山の湧水が流れる「陣馬の滝」。水の豊かさに惹かれて富士宮へ移り住んだ工藤さんが今もよく足を運ぶそう

―自然の中に身を置く時間には、どんな意味がありますか?

工藤:仕事をしていると、誰でも何かを背負って生きているじゃないですか。俳優なら俳優、編集者なら編集者として、「自分は何ができる人なのか」を理解してもらわなければ仕事にならない。でも自然の中では、それが全部なくなる。ただの自分でいられるんです。夜、驚くほど星が出ていることもあって。途方もない大きな自然にちっぽけな自分がいることを実感できると、安心できるんです。

田んぼの出会いが、酒蔵につないでくれた

―農業から酒造りへはどのようにつながっていったのでしょうか。

工藤:移住した頃、農業をやりたくて地元の方に相談し、田んぼを貸していただきました。草取りを手伝ってくれるおじいちゃん、おばあちゃんにも支えていただきました。 そのなかに町内会長の遠藤さんという方がいて、以前、富士錦酒造に勤めていたんです。それで「この地域で採れたお米を地産地消でお酒にするなら、富士錦さんを紹介できるよ」と。

―農業をするために移住し、そこで出会った人がお酒造りにつないでくれた。

工藤:そうなんです。あのご縁がなければ、富士錦さんと出会うこともなかった。人との縁って、どこでどうつながるかわからないんですよね。富士錦酒造の社長である清 信一さんに初めてお会いしたときも、すぐに「ここで造りたい」と思いました。まだ閉鎖的な空気が色濃く残る酒造りにおいて、私がやりたいことを聞いて、「どう形にするか」を一緒に考えてくださった。それがすごくうれしかったですね。

その後、工藤さんは2009年から富士錦酒造で酒造りに取り組み、15回ほど仕込みを重ねてきた。酒母造りや蒸米を加える作業、搾りや瓶詰めまで自ら手を動かす。原料は酒造好適米ではなく、自ら自然農法で育てた飯米のコシヒカリ。「大切に育てた米をできるだけ削りたくない」と、現在は精米歩合90%、つまり削るのはわずか10%。当初は難しいと見ていた杜氏・小田島健次さんからも高く評価される酒へと育て、「純米吟然酒 賜(ギフト)」として形になった。静岡県知事にも贈呈を重ねている。

  • 小田島杜氏と。現在では酒造りの心臓部とも言える「室仕事」を1人でも任されるほどの信頼と技術を得ている”

    小田島杜氏と。現在では酒造りの心臓部とも言える「室仕事」を1人でも任されるほどの信頼と技術を得ている

富士錦酒造では、富士山の伏流水を仕込み水だけでなく、道具や蔵の洗浄にも使用している。清社長は、良い水のある土地に蔵が残り、その土地の文化から地酒が育まれてきたと語る。

  • 富士錦酒造の仕込み水は、酒蔵見学時などに自由に飲むことができる

    富士錦酒造の仕込み水は、酒蔵見学時などに自由に飲むことができる

農業ができること、そして豊かな水に惹かれて富士宮を選んだ工藤さん。その水は、人との縁を介して始まった酒造りにも流れていた。

「地域の人とつながらなきゃ」は、もう思わない

―農業、酒造りなど、20年の間にさまざまな形で地域に関わってきました。最初から今のような距離感だったのでしょうか。

工藤:最初の頃は、もっと「人と知り合おう」と思っていましたよ。農業を通して何ができるかとか、どう地域のコミュニティを広げていくかとか。畑や田んぼを一緒にやる人がいたり、仕事を通して地域の方と知り合ったり、市から依頼された仕事をきっかけに市長さんと交流したり。今より地域密着型だった時期もあったと思います。

  • 田んぼでは自ら除草作業に入り、ときには一日中作業することも

    田んぼでは自ら除草作業に入り、ときには一日中作業することも

でも20年も経つと、世代交代もあります。お世話になった方が亡くなったり、それぞれの生活が変わったりする。ずっと同じ関係でいられるわけではないんですよね。

―そこで「関係を維持しなければ」とはならない?

工藤:ならないですね。人と人って、自分の思っていることと相手の思っていることが必ずしも一致するわけじゃない。幸運にも一致したとき、それがご縁なんだと思うんです。種をまいたからといって、いつ芽が出て花が咲くかを人間が決められないのと同じ。出会いもそうなんじゃないかな。無理に全部を続けなくてもいいと思っています。

人だけじゃない。空も、水も、土も「コミュニティ」

―一般的には、「地域に関わる=地域の人とつながる」と考えがちですよね。

工藤:もちろん人との関わりは大切です。でも、私はそれだけじゃないと思う。 木だったり、土だったり、空だったり、水だったり。あらゆるものとつながって、そこで生かされていると感じること自体が、コミュニティなんじゃないかなって。

  •  愛犬と富士宮の自然を楽しむ工藤さん。自然と触れ合う時間は、日々の暮らしの一部

    愛犬と富士宮の自然を楽しむ工藤さん。自然と触れ合う時間は、日々の暮らしの一部

―工藤さんは、その土地とのつながりをかなり身体でも感じている気がします。

工藤:そうかもしれないですね。私、今はほぼ一年中ビーチサンダルなんですよ(笑)。すぐ裸足になれるから。草地だったり、畑だったり、湖の砂利だったり、裸足で立つと地面によって足の裏で感じるものが全然違うんです。ここで長く暮らしているうちに、足の裏で自然を感じることの気持ちよさがわかるようになりました。

―自然は「眺めるもの」ではなく、暮らしのなかで触れるものなんですね。

工藤:そうですね。だから「人とつながらなきゃいけない」わけではないんです。縁があるときは不思議とつながるし、そうじゃないときは無理やりつなげようとしなくてもいい。そこにある自然も含めて、自分が生かされていると感じられる。それでいいんじゃないかなと思います。

―約20年暮らして、工藤さんにとって富士宮は「頑張って地域に入る場所」ではなくなったのかもしれませんね。

工藤:そうかもしれないですね。今はすごく心地いいです。

いつか、得意を持ち寄って暮らせる場所を

―これから、この地域でやってみたいことはありますか?

工藤:コミュニティづくりは考えたりしますね。同じような人生観を持っている友達が近くに集まって暮らしたら楽しいだろうなって。

  •  工藤夕貴さんインタビュー

昔カナダにいたとき、友人たちが広い土地を持って、近くに暮らしながら牧場をシェアしているコミュニティがあったんです。農業が得意な人、パンを焼ける人、ヨガを教えられる人。それぞれが自分のできることを持ち寄って、シンプルな家で暮らして、週に一度みんなで火を囲む。そんな場所があったらいいですよね。富士宮には、外で焚き火をしたり、自然のなかで思いきり過ごしたりできる余白がある。私にとっては「人間らしく暮らせる」と感じられる場所なんです。

約20年前、「農業ができる場所」として選んだ富士宮。田んぼを手伝ってくれる人との出会いから酒造りが始まり、湖や滝、土や水もまた日々の暮らしの一部になった。 20年を経た今、工藤さんにとってここは、頑張って「地域に入る」場所ではない。誰かとつながることを急がず、裸足で土に触れ、ときには一人で湖へ向かう。

そしてその先に思い描くのは、それぞれが得意なことを持ち寄り、無理なくともに暮らせる場所。工藤さんが富士宮で育ててきたのは、人との関係だけではなく、自分らしくいられる土地との関係なのかもしれない。

文・取材:大熊静香(旅色編集部) 写真:入江達也

(後編へつづく:次回は、現在の米作りや静岡県内の農山村との関わり、カフェ・ナチュレでの実践などから、工藤さん流の“地域とのつながり方”を掘り下げます)