「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」(夏目漱石『草枕』)。そんな世の中に、生成AIが急速に揺らぎを起こしている。昨日までもてはやされていたものが、明日には陳腐なものに変わっている。そんな激しい時代を生き抜くために、私たちは何を学び、何を手放せばよいのだろうか。

本連載では、各分野のフロントランナーに、30~50代のビジネスパーソンへ向けた「大人のリスキリング」の金言を聞く。「うまくいっているときほど、『もっとうまくやれないか』を考えなければならない」。経験学習とアンラーニングを研究する松尾睦・青山学院大学経営学部教授は、経営学者ピーター・ドラッカーの著書『非営利組織の経営』にある言葉が心に響くという。仕事がうまくいっているのに、なぜやり方を見直す必要があるのか。身につけた知識や経験を、次の成長へつなげる方法を聞いた。

成功をもたらした「型」が、成長を止める

松尾氏の研究の出発点には、製薬会社での営業経験があるという。「どうすれば売れるのか」という自身の疑問から営業職の研究を始め、やがて、人が経験を通してどう成長するかという経験学習へ関心を広げていった。

私は売れない営業マンで、2年で辞めてしまったんです。その後、研究者になり、優れた営業担当者が何を考え、どのように売っているのかを調べました。さらに、どういう経験を積むと営業担当者が成長するのかを研究するうちに、さまざまなプロフェッショナルの経験学習を研究するようになっていきました。

経験から学ぶと、自分なりの仕事のスタイルができます。プロであるほど、成果を上げるためのやり方を持っている。ただ、それがうまくいくので、スタイルが固まりがちなのですね。お客さんのニーズも競争相手も変わっているのに、以前と同じ方法を続けてしまう。とりあえず仕事はできるので、少しずつ通用しなくなっていることに気づきにくいのです。こうした状態は「有能さの罠」と呼ばれています。

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「このやり方がベストだ」と思うか、「もっといいやり方はないか」と考えるか。その違いは大きい。

では、この「有能さの罠」に陥らず、成果を上げ続ける人は何が違うのだろうか。松尾氏は、成功したときの振り返りに注目する。

ずっとトップを走る営業の人は、自分の売り方を少しずつ変えています。お客さんに「なぜ買ってくれたんですか」と聞く人もいます。購入の理由は変わりますし、自分が想定した理由と違うかもしれません。そこを確かめながら、ノウハウやアプローチを見直し、アップデートしているんです。

「このやり方がベストだ」と思うか、「もっといいやり方はないか」と考えるか。その違いは大きい。人から認められるとうれしいものですが、それだけで満足せず、自分がもっと成長したいと思えること。この「学習志向」が、アンラーニングを促します。

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経験をすべて捨てず、仕事の前提を見直す

新たな仕事に必要なスキルを身につける「リスキリング」と、いまの仕事で能力をさらに高める「アップスキリング」。どちらも、働き続けるための学びとしてよく知られる。では、これまで身につけた考え方や仕事の型を見直す「アンラーニング」とは、いったいどういうことだろうか。松尾氏は、新しい知識やスキルを加えるだけでは学びや成長は十分ではないと語る。

新しい知識や技術を身につけたとしても、「ベースとなる仕事の考え方や進め方」が変わらなければ、それを十分に生かすことはできません。有効性が低くなった方法を使うのをやめて、より有効な方法へ組み替えていくために必要な学びがアンラーニングです。

別の職種へ移る場合には、前の仕事で身につけた考え方や進め方を変えていく必要があります。いまの仕事で能力を高めていく場合にも、従来のやり方を見直すことが重要な場合があります。リスキリングにもアップスキリングにも、アンラーニングが関わってくるのです。

アンラーニングは「学習棄却」とも訳される。では、せっかく身につけた経験を捨てなければならないのだろうか。

自分のノウハウを全て捨てるわけではありません。有効であれば、捨てる必要はない。有効性が低くなった知識やスキルを使うのをやめ、より有効なものを取り入れる。自分の強みを伸ばせるように、組み替えていくのです。例えば、「部下に考えさせる指導」は大切ですが、誰にでも同じように任せればいいわけではありません。

経験豊かな人には広く任せられても、経験の浅い人には課題を絞ったり、選択肢を示したりする必要がある。「考えさせる」ことを捨てるのではなく、「誰にでも同じ方法で考えさせる」という指導を止めて、「相手の力量に合わせて、考えさせる幅を調節する」というやり方にアップデートするのです。

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「考えさせる」ことを捨てるのではなく、「相手の力量に合わせて、考えさせる幅を調節する」という形でアップデートするのがアンラーニング、という松尾氏。

アンラーニングには、仕事の進め方の根幹を問い直す「中核的アンラーニング」と、細かいテクニックだけを変える「表層的アンラーニング」がある。

表層的なアンラーニングは、プレゼンテーションの手法など個々のテクニックを見直すことです。一方、中核的なアンラーニングでは、仕事で成果を出すための、より根本的な考え方や進め方を見直します。何に注意を向け、どう判断し、行動するかということです。その人の仕事を支える能力に関わるため、成果にも大きく影響しやすい。

例えば、私が他の研究者と共同で行ったプロジェクトマネジャーを対象とする研究では、「優れたマネジャー」と「極めて優れたマネジャー」の違いが「予測と備え」にありました。問題が起きたときに適切に対応できるだけでも、優れたマネジャーです。ところが、極めて優れたマネジャーは、仕事を始める前から「どこで問題が起こりそうか」「そのとき、誰の支援が必要になるか」まで考え、備えていました。

この違いは、個々のテクニックだけの問題ではありません。「起きた問題にうまく対応する」という仕事の進め方を、「問題を予測し、あらかじめ備える」ところまで広げる必要がある。こうした、成果を支える仕事の考え方や進め方の見直しが、中核的なアンラーニングに当たります。

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仕事の速さを強みに、集中と深さを加える

研究者である松尾氏自身も、仕事の型を見直してきた。最近の試行錯誤は、長年の「スピード主義」をめぐるものだ。

れでいいのかと感じるようになったんです。一緒に研究会に参加している、自分よりひと回りほど若い研究者たちは、じっくり深く考えていました。その姿勢を見て、自分も変えなければと思った。2、3カ月で書いていた論文に、1.5倍から2倍ほどの時間をかけるようにしました。じっくり取り組むことで、論文の質は上がりました。ただ、そのやり方を続けてみると、何でも早く進めたい自分にはどうも性に合わず、苦しかったんですね。

ところが2026年の初め、年度末の研究費の使用期限まであと1カ月の間に調査をして研究費を使い切らないといけない状況になり、集中して考えたらいろいろなアイデアが出てきた。調査も短期間で実施でき、良いデータを入手できました。この経験から「スピード主義でもいいじゃないか」と気づいたんです。足りなかったのは、集中して深く考えることでした。スピードを持って進められるのは、自分の強みです。それを残して、「深く考えること」を加えればいい。アンラーニングも試行錯誤ですから、いったん変えて、また戻ることもあります。自分に合うやり方に更新していくことが大切だと思います。

小さな違和感を捉え、一部から試す

では、自分の型を見直すタイミングに、どう気づけばよいのだろうか。大きく成果が落ちる前にも、兆しは周囲の反応に現れるという。

管理職へのインタビューでは、「以前より部下の反応が悪くなった」「部下のやる気が落ちているように感じる」といった小さな変化から、自分の指導の仕方を見直したという話が出てきます。部下の問題だと決めつけず、「自分の指示の出し方や接し方が、相手に合わなくなっているのではないか」と考えてみるのです。お客さんとのやり取りでも、以前のような反応が得られなくなったら、自分の提案や説明の仕方を振り返る手がかりになります。

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自分なりのロールモデルを持つことも大切だ。身近な人に限らず、本から学んでもいい。

自分なりのロールモデルを持つことも大切です。違う方法でうまくいっている人がいると、いまのやり方を見直す手がかりになります。身近な人に限らず、本から学んでもいいんです。そこに書かれた考え方や仕事の進め方に触れて、「こういうやり方もあるのか」と試してみる。こうした学び方は「社会的学習」と呼ばれています。

ただ、ロールモデルの方法が、自分にも合うとは限りません。そのまま取り入れるのではなく、自分に合うようにアレンジすることが大切です。自分の仕事についての持論を文書にし、他の人と話し合うことも有効です。当たり前だと思っていた前提を比較して見直せます。自分を少し離れたところから見ながら、いまの方法を弱めたりやめたりして、別のやり方を試すのです。

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慣れた方法を変えれば、一時的に成果が下がる不安もある。そこで松尾氏が勧めるのが、小さな実験だ。

全面的に変えるのはリスクがありますから、まず一部で試してみる。うまく機能して、自分にもしっくりくるなら、少しずつ広げればいい。合わなければ、いったんやめたり、別の方法でやり直したりしてもかまいません。うまくいったときにも、なぜできたのか、もう少しよくする方法はないかと振り返る。その先に、いまのやり方を一部使わなくしたり、組み替えたりするアンラーニングがあります。

専門性を更新し、これからの「稼ぐ力」へ

AIに任せられる仕事が増えるなか、私たち自身は何を学び、どのような力を高めていけばよいのだろうか。松尾氏は、AIの出した答えを判断するためにも、専門性を磨き続ける必要があると話す。

AIを使えば、自分が学ばなくてもよくなるわけではありません。AIの出した答えが適切かどうかを判断するには、自分自身の知識や専門性が必要です。だからこそ、いまの仕事で能力を高めるアップスキリングが大切になります。私の知人のシステムエンジニアは、AIを使ってプログラミングをしています。

ただ、AIが作るプログラムには間違いが多いので、間違いを直しながら、スピーディーに仕事をしなければならない。そのためには、かなり高度なプログラミング力が必要でしょう。AIを超える知識やスキルを持っていないと、AIを使いこなせない。AIを道具として使いこなすためにも、専門分野の知識を学び続ける必要があるのです。

限られた時間やお金を、どんな学びに投じれば、将来の「稼ぐ力」につながるのだろうか。松尾氏は、社会からの需要と、自分の強みの両方を見ることが大切だと話す。

新しいことを学ぶとき、その領域に今後社会的なニーズがあるか。そして、自分の気質や能力に合い、強みを生かせるか。両方を見ることが大切です。成果が伸びなくなったら、その成果を生み出す仕事の進め方や考え方を見直す。稼ぐ力を考えるうえでも、そこにアンラーニングが必要になります。

ただ、最初から大きなアンラーニングをしようと思うと挫折しやすいので、できることや得意なことから、少しずつ背伸びしながら、小さなアンラーニングをすることが継続につながります。小さな成功を重ねると自信がつき、もう少しやってみようという気持ちも生まれます。できることが増えてきたら、どこに需要があるかを見て、広げていけばいいと思います。

「もっとうまくやれないか」。その問いは、経験を重ねた人にこそ意味を持つ。培った強みを見極め、仕事の型を組み替える。うまくいっているときにも続ける小さな更新が、これからも力を発揮し続けるための学びになるのだろう。

【プロフィール】

松尾 睦(まつお・まこと)

青山学院大学経営学部教授。専門は経営組織論、職場学習論。岡山商科大学、小樽商科大学、神戸大学、北海道大学などを経て現職。経験学習やアンラーニングを軸に、働く人の成長と、それを支える組織やリーダーのあり方を研究する。著書に『仕事のアンラーニング』『経験学習リーダーシップ』など。

取材・文:池田美樹 写真:松田麻樹 編集:Pen編集部