前田千里さん(SBI証券)

現在44歳。SBI証券に勤務する前田千里さんは、一見すると華やかなキャリアを歩み続けてきた“バリキャリ”の女性に映るかもしれない。けれど、その道のりは決して一直線ではなかった。

出産や子育て、家庭と仕事の両立。ライフステージが変わるたびに、働き方やキャリアの選択を迫られることもあった。思い通りにならない状況のなかで、いまの自分には何ができるのかを考え、まず一歩を踏み出すこと。その積み重ねが、気付けば彼女にしかないキャリアを形づくっていた。



【Point】
・キャリアはひとつの業種に絞らなくていい。経験を重ねるほど、自分の「使えるもの」は増えていく。
・子育てはキャリアの空白ではない。マルチタスクで培った力は、仕事に戻った時の強みになる。
・お金について知り、人生を見通すことは、これから選べる道を増やすことに繋がる。

真っ先に手を挙げ続けた20代。そこで身に付いた「まずやってみる」力。

前田さんのキャリアの出発点は、現在の金融とはまったく異なる世界だった。大学では物理学を専攻。卒業後はドイツ系企業に入社し、X線などを使う医療機器のエンジニアとして7年間勤務した。心臓や脳の血管、マンモグラフィなど、高度な専門知識を必要とする大型医療機器を扱う仕事だ。周囲のエンジニアはほぼ男性。病院での業務は手術が終わってから始まることも多く、深夜まで続くことも珍しくなかった。

「当時は、とにかく『私、やります』と手を挙げていました。先輩たちには家族がいたし、できるところまでは自分でやらなきゃ、という気持ちが強かったんです」

経験も知識も足りないからこそ、まず現場に出て、自分にできることをやる。わからなければ学び、次はできるようにする。がむしゃらだった20代に身に付いたのは、専門知識だけではなく、「知らないなら、やりながら覚えればいい」という感覚。それは、その後まったく異なる業界へ何度も飛び込んでいく前田さんを支える、大きな土台になっていった。

仕事か、子育てか。二者択一にせず、「両方できる形」をつくった。

エンジニアとして働いているときに結婚し、ふたりの子どもを授かった。第一子を出産した頃は、現在のようにリモートワークが一般的ではなかった時代だ。退職も考えたという前田さんに、当時の上司が「リモートで働けるようにするから辞めないでほしい」と声をかけてくれた。日中は子どもと過ごし、夜になったら仕事をする。時には公園や児童館でパソコンを開くこともあった。

「いま考えると、ものすごく先進的な働き方をさせてもらっていました。子どもと公園で遊びながら仕事をしたり、夜に働いたり。当時はそんな働き方をしている人は、ほとんどいませんでしたから」

さらに第二子の出産を機に、子ども服を輸入販売するオンラインショップも立ち上げた。会社員と起業家という二足のわらじで走り始めた矢先、夫の留学に伴い、家族でアメリカへ渡ることになる。そこで今度は、会社員という肩書きをいったん手放すことになった。

キャリアを手放しても、成長は止めなくていい。

アメリカで暮らしたのは約2年半。会社を辞め、これまで築いてきたキャリアから離れた前田さんだが、「仕事をしていない時間=止まっている時間」にはしたくなかったという。せっかく海外で暮らすのだから、現地の社会に飛び込んでみたい。そう考え、子どもを日本人が一人もいない現地校を選んで通わせ、自身も大学のビジネスコースで学び始めた。

「期間限定で行くのだから、しっかり何かを学んで帰りたいと思ったんです」

とはいえ、夫は留学中ということもあり十分な収入がなく、生活は決して楽ではなかった。そこで前田さんは、幼い頃から続けていたバイオリンを近所の人に教え、ピアスやネックレスを手作りして販売。さらに油絵を描いていた経験を生かし、近所の子どもたちにクラフト教室も開いた。2年間で100回近く実施したという。会社も肩書きもない。それなら、いま持っているものを総動員し、自分で仕事をつくればいい。「何をしてきた人か」ではなく、「いまの自分に何ができるか」を考えたという前田さん。アメリカでの生活は、そんな柔軟さを身に付けた時間でもあった。

帰国後、医療機器のエンジニアに戻る選択肢も考えたが、技術の進化に追いつくにも、子どもが日本の生活に慣れるのにも時間が必要だった。そこで前田さんが選んだのは、時短ママを歓迎してくれるマタニティ服のショップでの接客アルバイトだった。店頭に立つ仕事は想像以上に楽しく、副店長も任されるように。アメリカでの経験を生かし、ショップが入る百貨店でクラフト教室を開催する機会にも恵まれた。けれど、しばらくすると別の思いが湧いてきたという。

「子どもとの時間は大事にしたい。でも、やっぱりもう一度、キャリアを積みたいと思ったんです」

子育てに専念することを選んだ時、一度は「もうキャリアを捨てたも同然」とさえ感じていたという前田さん。一方で、保育園に子どもを預けながら働き続ける友人たちが眩しく見えた。だからといって無理に以前のポジションへ戻ろうとはせず、接客のアルバイトから、次はオフィスワークのアルバイトへ。ほんの少しだけ前へという、小さな一歩を繰り返していった。