須合美智子さん(葡蔵人~BookKRoad~)

東京の下町、台東区。御徒町の駅から歩いて5分のところに「葡蔵人~BookRoad~(以下、葡蔵人)」はある。契約農家から運ばれた国産ブドウだけを使ってワインを造る、わずか10坪の都市型ワイナリーだ。

ここで醸造を担っている須合美智子さんは、45歳でこの事業に参画するまで、ワインの専門知識はまったくなかったという。

それでも一歩を踏み出したのは、この人たちとならがんばれると思える同僚たちがいたから。「何を」やりたいかより、「誰と」やりたいかが大切。そんな思いを胸に飛び込んだ世界で、今日もワインを造り、人々に笑顔を届けている。

現在の生産数は年間およそ20,000本。都内で唯一、日本ワイナリーアワードの三つ星を5年連続で獲得もした。未経験からワイナリーを立ち上げ、現在にいたるまでの歩みを聞いた。




【Point】
・することの「内容」だけでなく、どんな「人」とやるかも挑戦の理由になる。
・人の心をとらえるのは、知識や正しさよりも「おもしろい・楽しい」というハッピーな感覚。
・いつかやろうの「いつか」はこない。今日がいちばん若いので、動けるときに動くべし。

迷う背中を押した、「この人たちとなら乗り越えられる」確信。

須合美智子さんが生まれたのは岩手県。高校卒業後に上京し、信用金庫に勤めた後に結婚退職。以来、夫の実家である中華料理店を手伝いながら子どもを育ててきた。しかし40代になって、義父母が店を閉じることに。そこで、パート先として選んだのが、現在の葡蔵人の運営母体である会社、K'sプロジェクトが営む飲食店だった。

「よく食事に行っていたお店だったんです。料理もおいしいのですが、大好きだったのはスタッフの方たちのおもてなし。働きはじめてからもその印象は変わらず、パートだからと分け隔てせず、“仲間” として接してくれる社員さんたちばかりでした」

働きがいを感じていたその会社で、新規事業としてワイナリーをスタートする話が持ち上がる。開業場所のメドも付き、醸造担当者を社内で募りはじめたが、しばらく手を挙げる人がいなかった。そこで「もし誰もいないならやってみたい」と立候補したのが須合さん。45歳のときだった。

「自ら手を挙げたのに、担当者に任命されることになったら1カ月くらい悩んだんです。あまりにもワインの知識がなかったので、本当にできるのだろうか……と(笑)。迷いを断ち切れたのは、この会社の人たちとなら、もし行き詰まることがあっても乗り越えられるんじゃないかと思ったからです。『何を』やりたいかより、『誰と』やりたいかが決断の理由でした」

ワイン修業と事業計画。怒濤の日々を乗り越え開店。

ワイナリーのオープンに向けて、怒濤の日々が始まった。まずは醸造の技術を一から学ぶため、修業先を探すことに。何から手をつけていいか分からず、書店でワインの関連書を読み、「日本のワインといえば山梨だ」と電車に乗った。

「最初に訪ねたワイナリーは規模が大きすぎて、参考になりませんでした。それで、もっと小規模でワイン造りをしているところを教えてほしい、とお願いしたんです。紹介されたのが、そこから歩いてすぐのところにある家族経営の小さなワイナリーでした」

ここで飲ませてもらった、アジロンというブドウから造る赤ワインに須合さんは衝撃を受ける。

「渋くて重いのが赤ワインなのだろうと思っていたのですが、そこで飲んだものがあまりに軽やかなのに驚き、こういうワインを造っていきたい、と感じて。その場で、東京でワイナリーをやること、研修させてほしいことをお伝えしたんです」

初対面だった須合さんの申し出を快諾し、醸造の師となってくれたこのワイナリーに車で通い詰めること約1年。大変だったのは、ワイン造りを教わることと並行し、お酒の製造免許を取得して保健所の許可を得る申請作業があったこと。

「製造設備の内訳やお酒の販売先、事業規模や販売計画など細かく書面にする必要があるんです。もちろん会社が一緒に作ってくれるのですが、私が事業に手を挙げたのは『ワインを造る役』をするんだ、と思ったからだったので、これは大変なことに足を踏み入れたな……と」

さまざまな挑戦を乗り越えた2017年、100%日本産ブドウでワインを造る御徒町の都市型ワイナリー葡蔵人は無事にオープンを迎えた。