「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」(夏目漱石『草枕』)。そんな世の中に、生成AIが急速に揺らぎを起こしている。昨日までもてはやされていたものが、明日には陳腐なものに変わっている。そんな激しい時代を生き抜くために、私たちは何を学び、何を手放せばよいのだろうか。本連載では、フロントランナーに30~50代のビジネスパーソンに向けて必要な「大人のリスキリング」の金言をもらう。
第1回は、一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブを立ち上げた後藤宗明氏。今後注目すべきリスキリングの行方を訊いた――。
リスキリングは、新たな学びを実践すること
リスキリングという言葉が日本で広く認知されるようになったのは2022年ごろとされる。岸田政権が「人への投資」として5年間で1兆円規模の支援を打ち出し、リスキリングはビジネス界における重要テーマとして注目を集めた。後藤氏はこの時、学習の先が転職につながるとの見方から企業側が積極的になれなかったと振り返る。
リスキリングの本来の定義は、「新しいことを学び、スキルを身につけ実践し、そして新しい業務や職業に就くこと」。単なる学び直しや勉強で終わるのではなく、学んだ後に仕事で実践し、新しい成長分野への配置転換や新しい職業に就くことを最終的なゴールとしています。本来、リスキリングは従業員が個人で行うものではなく、企業が自社の事業戦略に基づいて新しいスキル習得を支援し、組織として実施責任を持つ業務なのです。しかし、日本では転職への懸念などから、AIやデジタルスキルを習得する支援環境が会社に整備されていなかったり、スキル習得は就業時間外に個人が行うものと位置づけられていたりするなど、個人が休日に自腹で学ばざるを得ないケースが多く見られました。
後藤氏はさらに、学びの機会は増えたものの、習得したスキルを実務で活用できる環境づくりが追いついていないと警鐘を鳴らす。
転職を考えた場合も、自ら勉強をして新しい分野の仕事に就こうとしてもなかなか結果が出ないことがあります。なぜなら、いくら知識があっても、実際の仕事での実践経験が伴っていなければ、企業から即戦力として評価されにくいからです。学ぶだけでなく、いかに実践の場を確保するかまでをセットで考えることが、リスキリングの成功には不可欠なのです。

AI時代だからこそ、「何のために働くのか」を問い直す
急速に進化するAI。後藤氏はその変化を前向きに捉えた上で、私たちのマインドチェンジが欠かせないと語る。
今の日本では、残念ながら年齢を重ねると役職定年などで強制的に年収が下がるという現実があります。さらに、いざ定年後に新しい仕事を探そうとしても、年齢を理由に職業の選択肢が狭まってしまうのが実情です。つまり、会社に依存しているだけだといずれ危機的な状況を迎える可能性があるということです。そうした危機感から、私は会社に雇われて定年を迎えるというこれまでの概念をアップデートし、企業に依存せず個として生きる力を養う重要性を話しています。将来の選択肢を自ら増やす努力を今のうちから始め、定年後も自分の好きなことで稼げる状態を作っていくための準備が求められるのではないでしょうか。
AIの導入により、これまで価値を発揮してきた仕事が代替されてしまうと自分の存在意義を失うように感じる方もいるかもしれません。しかしAIは、時間のかかる作業や定型業務を切り出して任せることができる強力なパートナーです。そうした業務でエネルギーを消耗するのではなく、手元に残った時間で得意なことや本当にやりたいことを進化させていけば、AIを活用して5倍、10倍のアウトプットを出せる新しい働き方へと変わっていくのです。

ではAIを使いこなしていくために、私たちに求められる学びとはなんだろうか。後藤氏はこう示唆する。
働くために必要な要素は3つあると考えています。マインドセット、スキルセット、ツールセットです。今、スキルやツールの大部分はAIエージェントが代替してくれるようになります。そうなると、人間に残るのは「何のためにそのタスクをやるのか」「何のためにAIを使うのか」という大元のマインドセットが重要です。海外では最近、この主体性や主体的推進力のことを「エージェンシー(Agency)」と呼んでいます。AIが自動で仕事を進めてくれるからこそ、それを動かす人間の主体性や目的意識が極めて重要になってきたんです。AIは本来、人が苦手とする作業を代替してくれる便利なツールですが、「何のために生きるのか」という根源的な生きがいや目的を持っているかどうかで、一人ひとりの可能性に大きな差を生む要因にもなるのです。「何のために生きるのか」という自らのエージェンシーを持つことが不可欠です。
経験を掛け合わせて、「自分だけの強み」を育てる
エージェンシーを持ったうえで、私たち人間はどのようなスキルを身につけていけばいいのだろうか。後藤氏はスキルの「組み合わせ」こそが重要だと語る。
私たちにいま求められているのは、異なる分野の知識や経験を組み合わせ、複雑な課題を解決してイノベーションを生み出す力です。この考え方を「学際的スキル(インターディシプリナリー・スキル)」と呼びます。今後は、既存の枠に収まらない組み合わせ型のスキルが価値を持つ時代になります。私はこの学際的スキルを、身分証明書のIDにかけて「IDスキル」と呼んでいます。自分がこれまで培ってきたスキルに新たなスキルを組み合わせ、誰にも真似できない自分だけの固有の武器(ID)を構築していくことが、キャリアにおいて極めて重要になってくるでしょう。

違う領域を掛け合わせ、自分だけの強みとなる「IDスキル」を構築する。では、一体どのような分野のスキルを学べばいいのか。後藤氏はそのヒントは意外と近くにあると説く。
いきなり全く遠い分野へ飛び込むのは難しいので、まずは今のスキルに近い類似スキルや隣接スキルから広げていくとよいと思います。例えば、金融業界で働いている方であれば、まずは近しい「財務」や「会計」といった分野へスキルを広げていくのが現実的ですよね。
しかし、後藤氏は、そうした知識だけでは、AIによる自動化で価値が縮小してしまう可能性があるとも懸念する。
次のステップとして、さらに「脱炭素(グリーン)」や「宇宙開発」「介護」といった全く別の成長分野のスキルを掛け合わせたら何ができるだろうか、と考えてみることが大切です。少しずつ境界を越えて掛け合わせることで、自分だけの希少な価値は大きく広がります。
人生100年時代。長く、自分らしく働くために考えたい3つの“寿命”
とはいえ、これからは人生100年時代。私たちが意識すべきことは何だろうか。後藤氏は“ある寿命”に言及する。
長く稼ぎ続けるための「労働寿命」を延ばす手段がリスキリングであると同時に、心身の健康を保ち「健康寿命」を延ばすためのロンジェビティ(長寿)への取り組みが不可欠だと確信しています。私自身、現在このロンジェビティ分野へのリスキリングを実践しており、海外の国際会議にも積極的に参加して最先端の知見を学んでいます。
そして「資産寿命」という考え方が極めて重要になってきます。かつての社会システムはもっと早い段階で寿命を迎える前提で作られていましたが、これからの時代は長く健康に生きながら、自分の資産をどう防衛し、成長させていくかという視点が欠かせません。
学ぶだけでなく、心身の健康を保ち、資産を考える――。かつて夏目漱石は「僕は死ぬ迄進歩するつもりで居る」と述べ、生涯、学ぶ意欲を示した。私たちの学びも日々、進歩していくのかもしれない。
【プロフィール】
後藤 宗明(ごとう・むねあき) 一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ代表理事/SkyHive by Cornerstone 日本事業担当。早稲田大学政治経済学部卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行。米国での起業や米国の社会起業家支援NPOの日本法人設立に尽力した後、外資系コンサルティング会社等で人事領域のDXを担当。AIスタートアップでのシリコンバレー拠点設立などを経て、2021年に一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブを設立。政府や自治体向けの政策提言、企業向けのリスキリング導入支援を行う。著書に『自分のスキルをアップデートし続ける リスキリング』『中高年リスキリング これからも必要とされる働き方を手にいれる』など。
取材・文:池田美樹 写真:松田麻樹 編集:Pen編集部