• [右]柿谷曜一朗●2006年、16歳という若さでセレッソ大阪とプロ契約。日本代表にも選出され、海外クラブでも活躍した。2024シーズンをもって現役を引退し、現在はタレント、サッカー解説者として活動している。[左]原 亮太●オーシャンズ統括編集長。1979年生まれ。落語好きな愛知県出身者。

    [右]柿谷曜一朗●2006年、16歳という若さでセレッソ大阪とプロ契約。日本代表にも選出され、海外クラブでも活躍した。2024シーズンをもって現役を引退し、現在はタレント、サッカー解説者として活動している。[左]原 亮太●オーシャンズ統括編集長。1979年生まれ。落語好きな愛知県出身者。

16歳の未熟さゆえ、得られなかった信頼

――柿谷さんは現役時代に「天才(ジーニアス)」という異名とともに、サッカー界の各カテゴリーで大変な活躍を見せ、引退後は解説者として新たなキャリアを築いていらっしゃいます。また2025年には育児にまつわる功績を讃える「ペアレンティングアワード」を受賞し、パートナーの丸高愛実さんのYouTubeチャンネルでも育児に関して発信されています。まさに今回の企画の第一回にふさわしい方だと思いお招きしました。

柿谷 キャリアのことも、家族のことも常に考えているので今回の対談が楽しみでした!

原 まずは、ご自身のキャリアについて聞きたいと思います。

――厳しいプロの世界で戦うにあたって、これだけは譲れなかったこと、またキャリアを積む上で変わってきたものはありますか?

  • 4歳からサッカーを始め、30年以上プレーを続けた。長年セレッソ大阪の中心選手として活躍。名古屋グランパス、徳島ヴォルティスでもプレーし、Jリーグ通算473試合に出場。

    4歳からサッカーを始め、30年以上プレーを続けた。長年セレッソ大阪の中心選手として活躍。名古屋グランパス、徳島ヴォルティスでもプレーし、Jリーグ通算473試合に出場。

柿谷 サッカーを始めたきっかけと、35歳まで続けられた理由は同じで、“とにかくサッカーが好きだった”から。自分のプレーでまわりを笑顔にしたり、驚かせたり、感動を与えたりできることがうれしかった。そのためには自身も楽しむことが一番だと思いながら、約30年間、毎日ボールを蹴り続けていました。

原 サッカー人生において、プロになることは大きな節目だと思います。それは家族にとっても。柿谷さんは16歳でアカデミーから所属していたセレッソ大阪とプロ契約を結んだとのことですが、ご家族の反応はいかがでしたか?

柿谷 両親は早い段階で「いずれこの子はプロになる」と覚悟していたようです。ただ当時の私のあまりの幼稚さ、未熟さに、プロになって大丈夫なのかと心配していたようで……見事に的中してしまいましたね。

原 と、言いますと?

柿谷 プロは当然、結果が求められる世界。それまでのただボールを追いかける日々と違って、プロの世界は生活を背負って勝利を追い求めることとなります。多くの選手が、家族、子供、サポーターやスポンサー、いろんな人たちの思いのもと、覚悟をもって戦っているんです。

原 16歳にその覚悟は、なかなかもてるものではないですね。

柿谷 一方で僕は、ただサッカーがしたいだけ。彼らと一緒に試合を作り上げていくことができなかった。口では活躍して海外に行くなんて言っていましたが、そのためのアプローチが明確でなかった。

原 生活環境も大きく変わりますよね。

柿谷 プロになったことである程度お金がもらえましたし、練習以外の時間は基本的にフリーなので、できることの幅も広がっていきました。

――余裕ができたことで、サッカーに集中できなかったんですね。

柿谷 友人を呼びつけて回っていないお寿司を食べたり、服にも興味が出て格好つけたり。すっかり天狗になっていましたね。人の話も聞かないし、いつもわがまま。文字どおり、ひとりでサッカーをしていましたね。そんなやつは、チームに信用、信頼されるわけがない。当然、自分がつきたいポジションに、違う選手が起用されるんです。

原 そこで自分自身を見つめ直すことができればいいですが……。

柿谷 それでも、焦らない。「俺のことをわかってくれる人がくれば、また思いどおりの立場になる」と考えるんです。ますます試合に出なられなくなり、プレーの勘が鈍っていき……。ミスも多くなって、練習に身が入らず遅刻を繰り返すようになりました。

指導者との出会いで変わった、サッカー選手としての覚悟

原 それでもプロとして20年近く活躍されてきたわけですから、何かがきっかけで変わっていくんですよね?

柿谷 4年目の途中でセレッソ大阪から事実上見放され、期限付きで移籍した徳島ヴォルティスの美濃部監督(当時)のひと言でしたね。「お前は何しに来たんだ」と。

原 その真意はなんだったんですか?

柿谷 幼い頃から私のことを知る方でしたので、「実力からすれば、こんなとこにいる選手じゃない。だけど今のままでは、ここにもいられなくなるぞ」ということでした。「サッカーはうまいかもしれないが、まだサッカー選手じゃない」とも言われましたね。サポーターやスポンサー、家族、チームメイト、スタッフと、いろんな方々の支えがあるからサッカーができている。それに対するプロとしての責任を果たせているか? ということです。

原 そのとき、20歳になるかならないか、くらいですよね。反発しなかったのですか?

柿谷 はじめは「あなたが欲しくて獲ったんでしょ」と思いました(笑)。試合に起用してくれるのですが、常に怒られてばかりでしたね。ただ、良いプレーには思い切り褒めてくれました。飴と鞭の使い分けが上手で(笑)。

――反骨心を植え付けられた、ということでしょうか?

柿谷 そうですね。もともとセレッソ大阪でチームメイトだった、香川真司選手や乾貴士選手とよく比べられました。2人をはじめうまい選手を認めたくないという気持ちを隠していたつもりでしたが、痛いところをつくようにガンガン言われて。そこで初めて見返してやる! という気持ちが芽生えましたね。試合に出るためには、良いプレーするためには、チームメイトや監督、チームに信頼されるためには、何をするべきか。ひとつずつ階段を上るために、“他人(ひと)を見る”ようになったんです。

原 「他人(ひと)を見る」。いい言葉ですね。

柿谷 練習の取り組み方、チームメイトやスタッフとの接し方、サポーターへの対応。試合中のプレーだけでなく、普段の行動すべてを見直しました。もちろん自分で変わろうとしましたが、変わろうと思える環境を作ってくれた監督をはじめ当時のヴォルティス関係者には、すごく感謝しています。

人に頼って生きることは、何も恥ずかしいことではない

――こうして逆境を乗り越え、世界でも活躍する選手にまでなった柿谷さんは、2025年に引退を決断されました。それまでサッカーという自身の才能を活かせるフィールドがなくなるわけですが、どんな心境でしたか?

柿谷 単純に、怖かったですね。自分がサッカーをやっていない日常を想像することができなくて、サッカーを辞めると思うことも怖ければ、口に出すことも怖かったんです。

原 それでも、決断しなければいけません。その恐怖をどう乗り越えましたか?

  • 2016年にタレントの丸高愛実さんと結婚。3人の子供とともに丸高さんのYouTubeチャンネルに出演することも。

    2016年にタレントの丸高愛実さんと結婚。3人の子供とともに丸高さんのYouTubeチャンネルに出演することも。

柿谷 背中を押してくれたのは、紛れもなく妻の存在です。現役時代の終盤は、怪我の辛さや思うようにプレーできない苦しみを一緒に抱えてくれました。シンプルにサッカーを楽しんでいない僕に対する「もう辞めな」のひと言に、腑に落ちたというか。ちょうど3人目の子供が産まれるタイミングで、もっと違ういろんな世界に飛び込んで、この人たちを支えていかないといけないという気持ちが芽生えて、怖さは一瞬でなくなりましたね。

原 ちなみにサッカー界の後輩からキャリアについて相談されたら、どう答えますか?

柿谷 どんな選手であっても、充実したセカンドキャリアを送ってほしい。だから、私自身がその受け皿を提供できるようになりたいと思っています。多くの選手が指導者をはじめ、これまでお世話になったサッカー界に恩返しがしたいと考えると思います。そのための「はじめの1歩」をサポートする仕組みや環境を整えてあげたいですね。

――それは若い頃に柿谷さん自身が、周りのサポートによって変われたことが影響しているのでは?

柿谷 そうですね。もちろん自立して一人で生き抜くことも立派なこと。ですが、人に頼って生きていくことは、何も恥ずかしいことじゃない。助けてもらうためには、いろんな人と向き合うことが大事ですが、ひとりずつにいろんな良さがあって、それを共有できる仲間が絶対いる。だからこそ、今はサッカーに集中して取り組んでくれればいい。そう考えています。

“正解のない”解説の世界へ。だからこそ試すトライ&エラー

  • 現役引退後は解説者として活躍。北中米ワールドカップでも選手目線でわかりやすい解説が話題となった。

    現役引退後は解説者として活躍。北中米ワールドカップでも選手目線でわかりやすい解説が話題となった。

――柿谷さんは現在、主に解説者として活動されています。北中米ワールドカップでの解説も話題となりました。現在のキャリアで目指すこと、心がけていることはありますか?

柿谷 解説に正解はないので、色々と試しながら取り組んでいます。あえて喋らない90分、たくさん話す90分と、伝え方やさじ加減を変えて、世間の反応をチェックしているんです。

――解説者としてのキャリアをスタートしたばかりの今こそ、トライ&エラーを試せるということですね。

柿谷 視聴者全員に刺さる解説は、到底無理なこと。そのなかで、どういう声や意見、解説が求められているかを模索しています。そして4年後、次のワールドカップではもっと上手くなった自分を見てもらうことを目標としています。これは人との接する時の言葉遣いも同じで、自身が伝えたい何かを、相手に伝えすぎると伝わらない。そのさじ加減を探しているんです。

原 まさに我々「オーシャンズ」などのメディアも同じで、顔が見えない大多数に物事を伝えるには、技術が必要。どう翻訳するか、どう要約するか、どの部分を伝えれば反応してくれるか。それをライブ中継が多いサッカー解説で、堂々と試しながら挑戦している柿谷さんは、やはり肝が据わっていますね(笑)。

<後編では、子育てや夫婦関係、ライフスタイルなどをテーマに柿谷さんの家族に対する思いに迫ります。>

取材・文:八木悠太 写真:佐藤 裕 編集:OCEANS編集部