-
![[右]柿谷曜一朗●2006年、16歳という若さでセレッソ大阪とプロ契約。日本代表にも選出され、海外クラブでも活躍した。2024シーズンをもって現役を引退し、現在はタレント、サッカー解説者として活動している。[左]原 亮太●オーシャンズ統括編集長。1979年生まれ。落語好きな愛知県出身者。](images/001.jpg)
[右]柿谷曜一朗●2006年、16歳という若さでセレッソ大阪とプロ契約。日本代表にも選出され、海外クラブでも活躍した。2024シーズンをもって現役を引退し、現在はタレント、サッカー解説者として活動している。[左]原 亮太●オーシャンズ統括編集長。1979年生まれ。落語好きな愛知県出身者。
社会で生き抜くには“自信を持つこと”がスタート
――続いて、子育てや家族についてお話を伺います。まず、柿谷さんはご両親にどのように育てられたと感じていますか?
柿谷 子供の頃はシンプル。ただサッカーをやるためだけに生きていましたね。本当に一日中、サッカーボールに触っていましたね。それに対して両親は、あれしろ、これしろ、とは言わなかったです。
原 例えば、挨拶についてとか、ご飯粒は残すな! とか、そういった作法やしつけのような面は?
柿谷 それはありました。特に礼儀に関して、母は厳しかったですね。今でもそうですよ。
原 今というと、引退後の話ですか?
柿谷 そうです。解説などの仕事でテレビ出演する時、意識して標準語を話すように気をつけているのですが、そういうところも見ているようで。ほかにも人の話を聴くときの姿勢、人を見るときの目を指摘されたことも。
原 いろいろと手厳しいですね(笑)。
柿谷 「誰よりも目を配りなさい」と言われたこともあります。サッカーではあれだけ周りが見えているんだから、サッカー以外でもちゃんと周りを見て、人に尊敬されるようになりなさい、と。引退してからも、サッカーであれだけ自分勝手にやってきたんだから、辞めた後ぐらいは人に尊敬されるようになれれば、母としては何も言うことはない、と。
原 普段から現在の柿谷さんの活躍を、まめにチェックされているんですね。
柿谷 その分、応援してくれているんだと思います。父も母と似たような感じですね。ただ、彼は自分も柿谷曜一朗だと思っている節がありまして(笑)。
原 えぇ!?(笑)
柿谷 きっと僕がサッカー選手になったことに対して、自分自身もサッカー選手であるような気持ちだったんです。そのことがうれしくて、楽しかったんだと思います。だから、引退を決断したときは、ショックだったようです。
原 寂しさがあったんでしょうね。
柿谷 今、親になったからこそ、父の気持ちがわかるんです。自分の子供を褒められることって、自分のことのようにうれしいんですよね。なのでサッカーとは違うフィールドで僕が褒められればまた両親も喜んでくれるかな、それが最高の恩返し、親孝行になるかな、と思っています。
――逆に、ご自身のお子さんに対する接し方や思うことはありますか?
柿谷 一番下の子が男の子なんですが、正直サッカーはやって欲しくないと思っていました。
原 それはどうして?
柿谷 日本代表にも選ばれたサッカー選手の息子、ですよ。少なからずまわりからのプレッシャーがあるはず。そのプレッシャーに勝てるメンタルがあるのか……。僕にはないので、息子にあるわけないと思って(笑)。
原 でもまだ2歳ですよね? 今後はわからないですよ。
柿谷 そうですね、引退して以降、スクールなどで子供達と一緒にサッカーをしてみると、この環境に息子がいたら成長するんだろうな、と思うようになってきました。特にチームスポーツって、一つの目標に向かって取り組みますよね。例えばサッカーなら得点を取るために、みんなで走って、蹴って、守ってと、役割を分けながら取り組んでいく。いい思い出にもなるし、仲間もできるし、当然自分のためになる。それを息子にも経験させてあげたいなと、少しずつですが思い始めています。
――お姉ちゃんたちに対してはいかがですか?
柿谷 上と真ん中が女の子ですが、小学生といえど、もう女性ですね。妻と3人で毎日喧嘩しています(笑)。もちろんお互いが嫌っている訳ではないですが。
原 その喧嘩というか、言い合いで、決着しないときは「パパに聞いてみよう」ってなりませんか?
柿谷 僕は見守ることが多いというか…妻と娘たち、どっちの味方になることも正解で、どちらの味方にもならないのも正解だと思っています。実際どういうアプローチがいいのか、悩んでいるところではありますね。
――将来、お子さんたちが社会に出る上で、これだけは備えておいてほしいと思うことはなんですか?
柿谷 やっぱり“自分に自信を持つこと”を大事にして欲しいですね。自分自身に期待することって、社会を生き抜くうえで重要。ただ、足りないものも多いことにも気づいてほしいですね。例えば、サッカーの世界には自分よりすごい能力を持つ人は山のようにいます。自身の弱点をきちんと認めて、それでも勝負できる自身の強みを見つけ、発揮する。社会においても、それができるように育ってくれれば、あとはやりたいようにやってもらえればいいかなと思います。
原 生き抜く力を身につけるためには、“お金の教育”も重要だと思いますが、どうお考えですか?
柿谷 もちろん大切なことですが、まだこれからかなと思っています。100円が、1000円が……と言っても具体的な金額に対してはイメージがつかない年頃だと思うので、まず物の大切さを学ばせることからスタートですね。僕ら親が物を大切にしている姿を見せる。買ってもらったものは大事に、長く使う。物を買うために必要なお金はどうやって生まれたのか。さらには物を作った人の思いや苦労。そんなことを徐々に伝えて、自分なりに理解してくれたらいいなと思っています。
育児は“手伝う”ものではない
――前編では奥さんの存在が大きかったとおっしゃっていましたが、今思うことはありますか?
柿谷 結婚して10年になりますが、感謝を伝えることが少なくなっている、という実感は正直ありますね。子供が産まれ、家族になり、暮らしに追われる日々になってしまっているというか。仕事から帰ってきて疲れているから、子供たちの世話や相手ができないこともある。一方、彼女も家のことや家族の世話を日々やってくれているので、疲れている日も当然ある。家族内での役割分担とは言いたくないですが、お互いに“疲れた”が重なったときは言い合いになって、堂々巡りになる事も。
原 いや〜わかるなぁ(笑)。
柿谷 ただ彼女には母親という役割だけではなく、彼女自身の人生がある。友人と飲みに出かけたい、一人の時間を楽しみたい、話を聞いてほしい。そういうときに自らアクションをとって、寄り添ってあげること、応えてあげることが大事だと思うんです。
原 家族を持つ男性はみんな、少しは思うことですね。
柿谷 でも、思っているだけじゃダメなんです。できないわけではない、気持ちはある。けれど男は不器用だからか思いや考えが伝わり切らなかったり、寄り添うという行動に恥ずかしさがあったり。「好きだよ」「愛している」という愛情表現も、恋人同士の頃や新婚当時と比べると、どうしても少なくなってしまうじゃないですか。
原 図星を突かれたような…胸が締め付けられますね(笑)。
柿谷 結婚して何年経とうが、“あの頃”と同じように接しないとダメだと思うんですよね。家族であると同時に、一人の愛する女性として接して愛情を伝えることが大事。例えば、普段はママって呼んでしまっていても、ときおり名前で呼ぶとか。はじめは気味悪がられたり、伝わらなかったりするかもしれませんが、愛情を伝えることが当たり前の環境を作ることが必要ですよ。
原 柿谷家には3人のお子さんがいらっしゃいますが、家族が増えることで家庭環境は変わりましたか?
柿谷 一人目が産まれたときは現役だったので、抱っこは腰に負担になるとか、夜泣きで寝不足になるとプレーに支障をきたすとかで、妻が気を遣ってくれました。ただ今思うと、それを言い訳に家事・育児から逃げていたと思いますね……。二人の子供で、二人で育てていくと決めて、覚悟を持って産んでもらっているのだから。それに、三人目ともなると、そんなことは言ってられません(笑)
原 確かにそうですね。
柿谷 一般的に父親の家事育児に対して「協力的」、「手伝う」なんて言葉が使われますよね。ドラマや映画でも夫婦の会話で「なんか手伝おうか?」「なんかやることある?」なんてシーンもありますよね。おかしな表現ですよ。
原 父親が母親の家事や育児を「手伝う」って、まるで主従関係のようですよね。
柿谷 世の母親たちは、誰に言われた訳でもなく、家事育児をしています。そこをきちんと把握していないと、彼女たちのストレスは解消されないでしょう。もちろん、家族の数だけ、家族の在り方、子育ての仕方があると思うので、一概には言えませんが。
ーーでは、柿谷さんにとって「父親」とはなんですか?
柿谷 「妻の恋人」ですね。家族となり、子供たちの母親としか見られない、なんてよく聞く話ですよね。でも家族と幸せな時間を過ごせて、可愛い子供たちの成長を見られるのは、妻の存在があってこそ成り立っていること。彼女を好きになり、彼女に好きになってもらおうと努力した“あの頃”があったからこそ。日々の感謝をなかなか口にできず、家を空けることが多い今こそ、彼女との距離が離れないように努めることが、子供たちの父として見せたい、一番の姿かなと思います。
原 父親である前に一人の男性であり、生涯のパートナーとなった一人の女性に対する気持ちを大事にしたい、ということですね。
柿谷 言うは易しなのですが……これを妻が見たら「自分ではできないくせに、何を格好いいことを」とツッコまれそうですが(笑)。
サッカーだけでなく、すべてのスポーツの伝道者に
ーー現役を退いてから、ライフスタイルは大きく変化したと思います。この一年を過ごしてみて、いかがですか?
柿谷 毎日いろんなジャンルの方々と出会いますし、刺激的ですね。現役の頃は、サッカーボールを蹴り合えば、お互いに自己紹介が完結していました。それがいまでは「人見知りなんで……」と受け身でいては始まらない。いろんな人に興味を持って、自分を知ってもらう機会を作らないと。
原 それはまさに挑戦ですね。将来的にやりたいことはありますか?
柿谷 サッカー以外のスポーツにとても興味がありまして。スポーツ施設を作りたいんです。それもサッカー場ではなく、水泳や陸上、球技、格闘技、パラスポーツ、ここに来ればどんなスポーツも楽しめるスペースを作りたい。で、そこでできるスポーツは自分も全部できます、指導もできます!って言いたいんですよ(笑)。子供たちにいろんなスポーツを楽しんで欲しいし、本当に好きだと思えるスポーツに出会ってもらいたい。それと大人が指導者として活躍できる場を提供したいんです。
原 また壮大な話ですね。となると、身体が動くうちでないと。
柿谷 10年以内が目標ですね。僕一人では絶対に実現できないので、同じ志を持った仲間を増やしたい。そのためには、自身の影響力を高めないといけない。解説やテレビの仕事を通じて僕自身に興味を持ってもらえるよう、磨いていかないと、と感じています。
原 それは素晴らしい。応援します!
取材・文:八木悠太 写真:佐藤 裕 編集:OCEANS編集部







