老化は一律ではない
谷本:早野先生は「老いる」という現象を研究されています。具体的には、どのようなことを調べているのでしょうか。
早野:僕は生物学者なので、人だけでなく寿命が長い深海魚なども研究しています。生物学的には、「老いる」とは時間に伴って変化していくことです。人では病気として現れることがありますが、すべての生物がそうなるわけではありません。
谷本:年を重ねると体の機能が衰え、老化は元に戻らないというのが一般的な理解でした。研究の見方は変わっているのでしょうか。
早野:以前は、DNAの傷が蓄積するなどして、老化は元に戻せない不可逆的な現象と考えられていました。今は、その仕組みを理解することで、食事や生活習慣、薬などで変化に介入できる可能性が見えてきています。
谷本:先生が専門とする「エピジェネティクス」は、老化の仕組みとどう関わるのでしょうか。
早野:エピジェネティクスは、細胞の中で、どの遺伝子を使うかに関わる仕組みです。本にたとえると、DNAという書かれた文字そのものは変わらなくても、どこに“付箋”を貼るかで読み方が変わります。細胞の機能が失われた場合も、付箋である遺伝子の使われ方(エピゲノム)を調整することで、機能を改善できる可能性があります。
谷本:老化が可逆的に変わる可能性があると聞くと、希望を感じます。先生がこの分野に入ったきっかけは何だったのでしょうか。
早野:学生時代に、ウェルナー症候群の患者さんに出会ったことです。特定の遺伝子の変化で若い頃から老化に似た症状が出る病気なのですが、遺伝子の働きを理解すれば老化を制御する手がかりが見つかるかもしれないと思いました。年齢を重ねることには心や文化なども関わる点に惹かれ、20歳頃から研究したいと考えていました。
谷本:研究を始めた頃と比べ、今は何が大きく変わりましたか。
早野:2013年にハーバード大学のデビッド・シンクレア教授の研究室に留学した頃は、老化を止められても、若返らせるのは難しいと考えられていました。その後、機能を改善できる可能性が見えてきました。AIで多くの情報をまとめて分析できるようになったことも、研究の変化です。
健康寿命をどう測るか
谷本:長く生きることと、健康で長く暮らすことは違います。健康寿命とは、どういう期間を指すのでしょうか。
早野:健康寿命とは、健康上の問題で日常生活が制限されずに暮らせる期間です。寿命には最大寿命と健康寿命がありますが、健康寿命は単に何歳まで生きるかだけでなく、どのような状態で暮らせるかが大切です。
谷本:日本人は若く見られることがありますが、それは遺伝的な特徴でしょうか。それとも食事や生活習慣など環境によるものですか。
早野:遺伝的な要因もありますが、食べるものや生活習慣など後天的な要因も関わります。たとえば、日本とアメリカの健康寿命の差は、遺伝だけでは説明できないでしょう。
谷本:昔は食べ物が十分でない時代もありましたが、その一方でカロリー制限が寿命に関係するという研究もあります。平均寿命が延びた背景と、健康に暮らせる期間の変化をどう考えればよいでしょうか。
早野:昔は栄養が十分でないことがありましたが、その後は栄養状態の改善とともに医療や公衆衛生も発達しました。健康診断や治療を受けられるようになったことも、平均寿命や健康寿命が延びた要因の一つだと思います。
谷本:カロリー制限に似た効果を期待して、NMN (ニコチンアミド・モノヌクレオチド)などのサプリメントも注目されていますが、そもそもNMNとはどのような成分ですか。
早野:NMNは、NAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)の前駆体です。NADは細胞の代謝などに関わり、サーチュインの働きにも必要です。NMNを摂取してNADを増やすことや、それが健康指標にどう影響するかが研究されています。
谷本:仕組みは分かってきていても、人で効果が確かめられているかは別の話ですね。
早野:そうです。NMNやNR(ニコチンアミドリボシド)については、動物実験の結果が人にも当てはまるのか臨床試験で調べられている段階なので、現時点で人の健康寿命や寿命を延ばす効果が確立したわけではありません。
谷本:価格が高いものもあります。研究が進めば、もっと多くの人が手に取りやすくなるのでしょうか。
早野:僕たちはASAGI Labsを通じて、食品会社などと連携しています。将来、手頃な価格の成分を日常の食品に取り入れ、誰もが利用しやすくすることを考えています。実際に健康への効果があるかは、根拠を確かめていく必要があります。
健康データが映す未来
谷本:健康状態を測る方法も変わってきています。血液検査や日々のデータから、自分の体の状態を今より細かく知れるようになるのでしょうか。
早野:すでに血液中のタンパク質などを調べ、臓器ごとの生物学的年齢を推定する研究が進んでいます。健康診断や日常的に使うデバイスのデータを組み合わせれば、将来のリスクも見通せるかもしれません。僕は、そうした情報を手元で確認できる時期が、10年後、早ければ5年後に来る可能性もあると考えています。
谷本:5年後というのは、すぐ先のようにも感じられます。そうした分析を支えるAIは、老化研究をどう変えているのでしょうか。
早野:従来は「睡眠が改善すると健康状態が良くなる」といった要因同士の関係を一つずつ調べていました。しかし、老化は複雑な現象で、一つのタンパク質だけでは全体像が分かりません。AIを使えば、多数のタンパク質などが変化するパターンをまとめて解析できます。交差点を行き交う人を一人ずつ追うのではなく、全体の流れを見るようなイメージです。
谷本:状態がわかった後、生活をどう変えればよいかまで示されるのでしょうか。
早野:そこが大切です。数値を伝えるだけでは、次に何をすればよいかわからないことがあります。食事や運動などの選択肢を具体的に提案し、実践した後に状態がどう変わったかも確認できるようになるとよいと思います。
谷本:日本の老化研究は海外に遅れていると伺いました。一方で、日本ならではの強みもありますか。
早野:研究の進み方では、日本は海外に10〜20年遅れていると感じます。一方で、僕が日本に戻った理由でもありますが、日本には健康診断や人間ドックのデータがあり、企業が生活者にサービスを届ける機会も多い。データを集め、健康状態の予測や製品開発につなげる余地があります。
谷本:海外の研究や製品を待つだけでなく、日本にあるデータや企業との接点を生かせるのですね。データを本人の暮らしに返すところまで考える必要がありそうです。
地域と暮らしが支える健康
谷本:健康を支えるものは、個人の遺伝子や努力だけでなく地域の環境も関わってくるのでしょうか。
早野:たとえば、静岡県は健康寿命が長い地域として知られています(厚生労働科学研究班が公表した令和4年調査で男女とも全国1位)。僕自身は、食や気候、自然との距離など、日々の暮らしが関係しているのではないかと考えています。実際に静岡の方々を見ていると、健康のために特別な努力をしているというよりは普段の生活が満たされているように感じます。ただ、これは僕の観察で、健康寿命の長さの原因として確かめられたという意味ではありません。
谷本:お茶や本わさびといった食べ物だけでなく、穏やかな気質や自然環境も関係しているかもしれない、ということですね。
早野:そうですね。食べ物がおいしい、水がおいしい、周りに自然がある。そうした条件が重なって心穏やかに過ごせているのかもしれません。ただ、地域ごとに食文化や気候は異なるので、ある地域の方法をそのまま別の場所へ持ち込めるわけではありません。
谷本:人とのつながりも、暮らしの満足度や健康に関係するのでしょうか。
早野:友人の数と寿命の関係を調べた研究や、ペットとの暮らしに注目した研究があります。人と会話したり一緒に食事をしたりする機会は、安心感や生活の張りにつながる可能性があります。たとえば岐阜県では、地域に根付いた「モーニング文化」を活かした健康づくり施策があるのですが、食事を通じて決まった時間に人と会って話す場所をつくるという考え方は興味深いです。
谷本:健康づくりを個人の努力だけに任せず、人が集まりやすい場所や、地域で食事をする機会を考える。これは企業や自治体にも関係する話ですね。
早野:そう思います。食品や不動産など暮らしに近い企業と研究者が連携すれば、研究成果を日常のサービスに結びつけられる可能性があります。理論的な根拠と利用者にとっての価値を確かめながら、地域に合う形を考えることが必要です。
早野元詞◎東京理科大学 研究推進機構総合研究院 老化分子生物学寄附研究部門 准教授、株式会社ASAGI Labs CEO。専門は老化、エピジェネティクス。
谷本有香◎Forbes JAPAN Web編集長。経済系シンポジウムのモデレーター他、内閣府 オープンイノベーション大賞 審査員、内閣府SIPピアレビュー委員、東京都 キングサーモンプロジェクト審査委員、東京都 現場対話型スタートアップ協働プロジェクト選考委員等。
文=栗原 亮 編集=水野陽介 撮影=メディアストリーム

