70年前から作り続けられている椅子がある。柳宗理が1956年にデザインした「天童木工」のバタフライスツールだ。2枚の合板が蝶の羽のように広がる、軽やかで力強い曲線は、いまも山形県天童市の工場で形づくられている。
工場を訪れてまず目に留まったのは、隅々まで整えられた仕事場だった。木工の現場につきもののおがくずや木片はほとんど見当たらない。持ち場を離れる際には、周囲をきれいにすることが徹底されているという。整然とした仕事場からも、ものづくりに向き合う姿勢が伝わってくる。
「天童木工」が長年磨いてきた成形合板は、薄い板を重ね、型を使って複雑な曲面をつくる技術だ。材料は、丸太を大根の桂むきのようにスライスした薄い板。単板と呼ばれるこの板を重ねることで、無垢材では難しい形状と強度を両立できる。バタフライスツールはブナの単板を芯材に、表面の突板を含めて計9枚を重ねた構造。一枚ずつ接着剤を塗り、その束を金型に収め、熱と圧力を加える。
バタフライスツールは、左右に広がるだけでなく、前後にも曲がり、ねじれを含む三次元の形状。ゆえに、幅広く成形した板から同じ部材を複数切り出す方法はとれない。一度にプレスするのは、一脚分となる左右2枚のパーツ。量産される家具でありながら、成形は一脚単位で進む。
しかも、同じ材料と金型を使っていても、毎回同じ条件で仕上がるわけではない。十分に乾燥させた単板でも、残る水分によって「狂い」と呼ばれる変形が起きる。夏場には暑さでプレス前に接着剤が固まり始めることもあるため、配合はその日の天候に合わせて変える。そうした微調整を重ねながら、同じ曲面へ仕上げていく。
その仕事を支えているのが、各工程で経験を重ねる職人たちだ。製造部門では、基本的に一度配属された持ち場を長く担当する。椅子張りなら椅子張り、成形なら成形。地元の高校を卒業し、木工の経験がなく入社した若手も、同じ現場で先輩から仕事を教わりながら技術を身につけていく。なかには10年、15年と一つの工程に携わる職人もいる。それぞれの持ち場で時間をかけて専門性を深めていくのが、「天童木工」のものづくりの一面だ。
70年変わらないバタフライスツールの曲線。その裏側では、材料と向き合う技術が、現場で人から人へ受け継がれている。
100年続く酒屋の家から、自分の商いを始める
山形で酒屋を始める。全国に知られた酒どころだから、商売には有利に思える。だが「酒屋源八」の店主・日下部昌樹さんにとっては、むしろそこが難しかった。
日下部さんは、河北町で約100年続く酒屋に生まれた。もともと家業を継ぐつもりはなかったが、東京でワインに触れたことをきっかけに酒への関心を深め、本当に扱いたい酒を考えるようになった。実家を手伝いながら蔵元を訪ねるうち、「店をやるなら、酒を卸してもいい」と言ってくれる造り手が現れる。自分の店を持つ意味を見出したのは、そこからだった。
2004年、実家の隣に「酒屋源八」を開いた。屋号には、約100年前に家の酒屋を始めた曾祖父の名を掲げた。とはいえ、酒どころ山形には、地酒を長く扱ってきた専門店がすでにある。後発の店として、日下部さんは自分の店ならではの道を探した。

店主の日下部さん。気になる酒の感想を率直な言葉で綴るブログ「店主の晩酌劇場」も評判。
そこで目を向けたのが、燗で味わう熟成酒や、当時はまだ馴染みの薄かったナチュラルワインだった。ただ珍しい酒を集めるのではなく、自分で飲んで美味しいと思えること、食事とともに楽しめることを土台に「うちでしか買えないもの」「うちでしか提案できないもの」を探した。
だから、造り手のもとへ足を運ぶ。畑や仕込みの現場を見て、どんな場所で、誰が、どのように造っているのかを知る。そうして時間をかけて関係を築き、まだ広く知られていない酒も扱ってきた。酒の個性に合わせて保管温度を変える3つのセラーも、その積み重ねの延長にある。「自分は物を作れる人間ではない」と日下部さんは話す。だからこそ、何を選び、どう伝えるかが仕事になる。
近年は、山形の飲食店を目当てに来た人が、その流れで「酒屋源八」に立ち寄ることもある。
創業から20年余り。最初は「なぜ山形の酒を置かないのか」と問われた店も、今では県外から人が訪れる場所になった。
山の恵みとともに、土地の暮らしをつないでいく
月山のふもと、西川町にある「出羽屋」は、約100年前、出羽三山へ向かう行者たちを迎える宿として始まった。以来、山菜やきのこ、川魚など、この土地の恵みを料理へとつないできた。
雪深い山あいでは、春から秋に採れた食材を乾燥させ、塩や味噌に漬けて冬に備えてきた。雪解けの春には山菜、夏には川魚や夏のきのこ、秋には舞茸や松茸などのきのこ。冬には蓄えてきた保存食が食卓に上る。山の恵みを生かして冬を越す知恵は、祖父母から親へ、親から子へと受け継がれてきた。
ただ、そうした食の背景は、料理を出すだけでは伝わりにくい。四代目の佐藤治樹さんが看板を引き継ぐ際、若女将からかけられたのが「お客様に山の話をしてほしい」という言葉だった。そこで設えたのが、客と向き合うカウンターだ。目の前で料理を仕立てながら、食材がどこで採れ、どう保存され、どんな暮らしのなかで食べられてきたのかを伝えている。
山の食文化に欠かせないのが、山菜やきのこを収穫する採り手たちの存在。佐藤さんがその減少に危機感を抱いたのは、15年ほど前のことだった。
「出羽屋」は、彼らが生業を続けられるよう、採れたものをすべて引き受けている。さらに、その状態を採り手に伝え、次の収穫に生かせるようフィードバックも欠かさない。地域で声をかけ続けるなかで若い世代ともつながり、少しずつ仲間が増えてきた。現在は20代から70代まで約10人が山に入る。
料理に使う食材があるだけでは、この土地の食文化は続かない。それを採る人と技術が残ってこそ、次へつながっていく。
受け継ぐとは、同じことを繰り返すことではない。同じ曲線をつくり続けるために人を育てる。家の歴史を受け取りながら、自分の商いをつくる。山の食文化を残すために、採り手が生業を続けられる環境を整える。
昔からあるものを守るだけではなく、それを続ける人や仕事まで支える。山形で見た継承は、そうした実践の積み重ねだった。
▼協力
天童木工 東京ショールーム&ストア
0120-24-0401
www.tendo-mokko.co.jp
酒屋源八
山形県西村山郡河北町谷地月山堂684-1
0237-71-0890
sake-genpachi.com
出羽屋
山形県西村山郡西川町間沢58
0237-74-2323
www.dewaya.com
※20歳未満の者の飲酒は法律で禁止されています。
取材・文:中川 滋 写真:山本 大 編集:OCEANS編集部









